徒然に過去話
September 10, 2015
プラチナのボールチェーン
ジュエリーショップで
「カワイイなあ〜
こういうのシンプルなのが欲しいんよねえ〜」
ポツッとひとり言だったのに
覚えていてくれて
誕生日だったかにくれたものです
彼との想い出が
最近すっかり色褪せてしまっていたので
思い切って売ろうかと
ある質屋のHP見て
量りで重さを量った計算してみたら
15,000円ぐらい・・・
思ってたよりも安かったのです
売る気がちょっと萎えて
逆に冷めかけていた
彼への気持ちというか
感謝とか恋慕とか色々再燃してしまいまして
そっと元の場所に戻しました
September 03, 2015
January 18, 2015
January 15, 2015
成人式
November 13, 2014
July 27, 2014
音楽
ザ・ストリート・スライダーズ
千年コメッツ
UP-BEAT
シーナアンドロケッツ
竹内まりや
サザンオールスターズ
フリッパーズ・ギター
電気グルーヴ
ZARD
ふふふ、こんなもんかな(笑)
May 09, 2014
けしの花
学校からの帰り道にところどころに
ポピーが咲いている場所が花畑がありました。
ある日、テレビで
「けしの花はアヘン(麻薬)の原料になる」と知りました。
「ポピーはけしの花だよ」と誰かに教えられてから、
その花のある原っぱを通るのが怖かったこと(爆)
花を摘んでいる人を見かけては、
暴力団の人かもしれない、とか、
ここに麻薬の材料の花畑があることを
早く警察に知らせなければいけないとか。
本当に本気で思っていました。
今でもポピーを見るとその頃のまだ無垢な自分を思い出して、
つい思い出し笑いしてしまいます。
※ ちなみに、ここに見分け方が載っています。
May 06, 2014
優しい人
ピルを服用しようと産婦人科に診察行くのに
付き添ってくれた人がいました。
私は自分自身の為だと単純に思っていたけど、
「これは二人の為のことなのに、
おまえだけにリスク負わせてゴメンな」
と言った彼の顔は今でも忘れられません。
September 06, 2013
August 23, 2013
電話番号
思い出した電話番号。
元カレの実家(笑)
はっきり指が思い出してました。
で思い立って検索かけてみたら、
元カレの実家、引っ越してました。
連れに確認したら、
やっぱり引っ越したって。
ただ本人が実家にいるかどうかまでは
わからないって。
なんで思い出したんでしょうねえ。
明日高校の同窓会があるからでしょうか?
関係無いか(笑)
January 31, 2013
good bye じゃなくて
大学2年の春、
いつも感じが良くて少し気になる存在でした。
誘われて海沿いの国道をドライブ。
真っ暗な海辺に二人で座って話をしていたら
“やはり” の告白。
January 14, 2013
調理パートさん
恥ずかしながら、
大学卒業後に飲食業で働いていた時は、
ほとんど料理ができませんでした。
「一人暮らし料理」とか「貧乏料理」(笑)は得意でしたが、
基本ができていなかったというか。
なので、お店でキッチンに入る時は毎回緊張
迫り来るオーダーにおののきながら
段取りも悪くウロウロやってました。
自宅でもフライパン振る練習とか、
玉子やステーキ焼く練習とか色々やってました。
全く役に立たなかったですけど・・・。
複数の料理を出す為の段取りを
効率よく組み合わせて、
同時ディッシュアップ(調理完了)。
これが本当にできなかった・・・。
最近、ふっと食事の支度とかしながら思います。
今ならだいぶ要領良くできるんじゃないの〜とか。
結婚して12年、
家族5人の食事を作り続けて6年ちょっと。
なんとなく段取り良くなりました。
ごはんと味噌汁、おかず2品をほぼ同時に食卓へ。
って、そんなのは当然でしたかっっ
今更は戻れない職場ですけど、
主婦パートさんの仕事がテキパキしてたのって、
そういうことだったんだなあとか思い出したりしてます。
January 10, 2013
イケてました
20〜25歳頃の私は自分で言うのもなんですが、
本当にイケてました(死語?)。
まさに我が世の春、
人生で一番ピチピチで心身共に充実した時でした。
それに加えて人生で最高の「モテ期」におりました。
基本的に写真は彼氏としか撮らなかったので、
全て処分してしまっていて、
どれだけ私がイケてたか、
今となってはそれを立証する手立てがありません。
証拠が無いのが本当に残念です。
夫にこの話をするといつもハイハイと軽くかわされるんですが、
本当にイケてました、モテてました。
公私共に充実しまくっていました。
だから毎日がドラマチック・・・。
仕事仲間にも恵まれ、恋人もいて毎日が充実していました。
多少身体はキツかったけど、キツくてもしんどくても
上にあがってやろうとか、なんとかなってやろうとか、
いつも気持ちはへこたれていなかったと思います。
過去にしがみついているわけではないのです。
でも、そういう時代があればなおさらに、
今の自分がちょっとなさけなく思えてしまうのです。
今の自分、イケてないです。
自分が無くて、自信が無くて、です。
March 07, 2011
なたでここ
ふっと懐かしスイーツのことなんて書いてみようかと。
ナタ・デ・ココ とか。
1993年、某ファミリーレストランでメニューに加わって、
それがテレビで紹介されて大騒ぎになって。
ちょうどその頃、
私働いてました、その某ファミリーレストランで。
で、毎日毎日作ってました。
ナタ・デ・ココ・・・。
毎日毎日、それだけ目当てのお客様でお店は大騒ぎでした。
ピーク時はなかなか入荷も厳しくなってきて、
「売り切れ」の張り紙を玄関に貼ったりしました。
それ見てもう帰っちゃうなんてお客様もおられたりして、
ホントに凄かった・・・。
続きを読む
February 07, 2011
逆に行っちゃった結果
ふらふらと徒然に
昔付き合っていた人達のことを思い出していたら、
面白い事に気が付きました。
振り幅というか、
いつも“端っこ”と“端っこ”を行ったり来たりしてました。
いつも間を揺れて揺れて「定まることを知らず」・・・。
男性のタイプが
別離れると次の人は毎回その逆タイプ、
そしてまた次はその逆タイプになっているのです。
軸が毎回微妙にズレていくので、
次の“逆”で元には戻らず、次の人、そしてまた次の人・・・。
背が高い人の次は低い人。
お金持ってる人の次は貧乏してる人。
真面目な人の次は浮気性の人。
女性の扱いに慣れてる人の次は無骨な人。
チャラ男の次は真面目男。
不思議なもので、
毎回別離れる時に反動がついてしまうのか、
意識してか無意識なのか。
夫と結婚してしまったのは、
「反動」が付き過ぎたせいだと思ってます。
夫の前にお付き合いしていた人は、
背が高くてガッチリした熊のようでした。
結婚願望が全く無くて、
金銭感覚も現実的でない人でした。
懐の深さは深かったんですけどねえ。
夫はその真逆で、
いわゆるチビでガリガリで猿のよう。
結婚願望がやたら強くて、
“結婚前提”で交際が始まりました。
金銭感覚もガッチリ現実的でした。
そこでついうっかり交際が始まって、
交際期間半年ちょっとのスピード婚。
で、結婚してから気付いた「懐の浅さ」・・・。
ま、そういうことで、
つまらない昔話です。
お付き合いさせてしまってスミマセン<(_ _)>
March 31, 2010
略歴とか
これまでのこと。
生まれたのは愛媛県ですが、
3歳頃に広島へ引っ越してきましたので、
ほとんど愛媛の記憶はありません。
父が東洋工業(現マツダ)に就職したのがきっかけでした。
小・中・高と府中町内に通い、
「1校だけ受験」で合格した愛知県の福祉系大学へ進学。
福祉の現実にすっかりビビってしまい、
夢も希望も無くして他学部聴講制度を利用し、
“経済学部”の学生として大学を卒業しました。
卒業後は、イ●ミへのUターン就職が決まっていたのを、
当時交際中の男性の“涙”に負け、
急遽、大手外食店に進路変更。
接客業の面白さにハードな毎日もなんのそので、
公私共に充実した生活を送っていたのですが、
体調不良と失恋、その後の社内恋愛発覚が原因で
“肩を叩かれて”「寿退社」の形で退職。
結婚したらそのまま「名古屋人」になる決心で、
結婚までの半年を広島で過ごすつもりが、
色々あって破局結局、「広島人」・・・。
じたばたして、うろうろして、
で、今があるわけです。
February 07, 2010
バブルの恩恵
「“バブルの恩恵”?何それ?(怒)」
ちょっとした口論になりました。
思い起こして見ると、
ちょうど私ぐらいの年齢の“女子”が一番恩恵に与っていたのかなあ、と。
たぶんですね、
“女の子”ってだけでよかった時代だったんだと思います、あの頃は。
無邪気に“女の子”してました。
食事の時は出口で「ごちそうさまでした〜」でニッコリしてればOK。
「あ、ここは私も出しますぅ〜」なんて言うと、
「いいよいいよ、“女の子”はいいよお〜」でエンド。
貧乏学生だったので、お誘いがあると
「やった!!タダ飯!!」なんてガッツポーズしてましたし。
ああ、ステキな時代でしたね・・・。
回らないお寿司も、鉄板で焼いてもらって食べるお肉も、
横文字名前の料理も、お酒も、
み〜んなバブル時代に覚えましたよ。
だから何?と訊かれると、
いえね、そういう時代があったんですよ・・・、という単なる「思い出し」です。
January 06, 2010
過ぎてから見えるもの
まさに人生の“ポイント”、“起点”となる出来事が、
そこここに書かれていることに気付きます。
その出来事の記憶は
数年、十数年経った今でも鮮明に思い出すことができたりします。
過ぎて見えるもの、今だからこそ気付くその出来事に
何をするでもなく、ただ思いを馳せてみるだけなんですが。
真夜中に一人、PCに向かっていると、
ホントにろくな事を思いつきません・・・。
November 20, 2009
鈴木さん
半額弁当 の記事書きながら、ふっと思い出した事。
鈴木さん・・・、鈴木敏文さん・・・。
もう15年以上前のこと。
某大手ファミレスに勤めていた頃のことです。
彼が提唱した「単品管理」のおかげで
表(接客)以外の仕事が一気に煩雑になって、
文科系の私は頭が付いていけずに、
数字を追いかける作業にすっかり疲弊してました・・・。
メニューのみならず、食材個々に至るまで、
データを出して、予測・推測・計画・実施・検証・・・。
社内で提唱されてまだ間もなかったというか、
うちの店舗の社員みんながホントのところ、
完全に理解ってなかったというか・・・。
“数字”に振り回されて疲れてました・・・。
言い訳です・・・。
色々経験積んだ今なら、
その理論の正しさがよく理解できますよ。
ホントに。
ってどんな経験積んだのさ??
当時は「まったく・・・こいつのせいで・・・」
なんてこと思ってましたから。
バカでした、大馬鹿者でした・・・。
ああ、口惜しや・・・。
September 20, 2009
ここにいること
高校2年生の時、
クラス対抗球技大会(いわゆる“クラスマッチ”)でのことです。
ちょっと前に夢に見たのでなんとなく書いてみます。
女子の種目はバスケット。
相手チームにバスケ部はおらず、
まあまあ、それなりにプレーしておりました。
で、何かのはずみで
相手チームの女子が前のめりに倒れるのに
一緒に巻き添えくって後ろに倒れて後頭部をグワーン・・・。
要するに私がどんくさかったわけですが。
即、ひきつけを起こしました・・・。
救急車出動の大騒ぎになりました。
近くの病院でレントゲン撮って、
「左後頭部頭蓋骨骨折」が判明。
後で聞いたんですが、15cmにわたる大きな骨折だったそうで。
その後すぐ大きな病院へ行ってCT撮って、
色々検査されたらしいんですが、
その間も、意識は戻らず・・・。
母親は「今夜が峠です」とか言われたらしいです。
このまま意識が戻らないと・・・、って。
とか言われつつも、夜中ちょっと過ぎに意識は戻りました。
ぼんやりとした意識の中で、
隣の患者さんのモニターが
「ピッ、ピッ、ピッ、ピッーーーーーーーー」とか鳴ってぶったまげました。
必死でナースコールのボタンを押して、
「すいませえええええええええええん(泣)」。
で、翌朝の検査の結果は異常無し。
意識が戻ればもう大丈夫ということで、
午前中には退院。
生きてます、おかげさまで。
時々、あの病室での光景を夢に見ます。
意識が無かった間にお花畑を見たとか、
向こう側で誰かが呼んでいたとか、
特に何かあったわけではないのです。
が、あのまま戻って来れなかったかもしれないと思うと、
やはり“何か”に生かされている自分についてふと。
今ここにいることをふと。
ただ、この「左後頭部頭蓋骨骨折」の後遺症に後々になって
苦しめられることになるんですね。
若さゆえ、定期検診もおろそかにした罰です・・・。